- お口の健康を守り、
「夢」みる笑顔を支えたい - ふかや夢デンタルクリニックは、お口の健康から全身の健康を守り、地域の皆さまがいつまでもご自身の歯で食事や会話を楽しめる、そんな「理想=夢」をカタチにすることを目標とし、令和3年5月、深谷市上野台に開院しました。
DIRECTOR
院長あいさつ

- 院長 / 歯科医師
- 松本 眞左大
- (まつもと まさひろ)
Message
- 身体への入り口である
お口の健康を守り
いつまでも健やかに - こんにちは。深谷市の歯科医院 ふかや夢デンタルクリニック 院長の 松本眞左大(まつもと まさひろ)です。
現在まで神奈川の歯科医院で経験を積んでまいりましたが、40代に入って、日々技術を研鑽する中で、さまざまなことに気づきました。
そのうちの1つは、『診査・診断に基づいて患者さま個人個人のケースに合わせた治療を行っていくことがいかに大切か』ということです。
簡単な例でいえば、同じ『むし歯』といっても、すべての患者さまを同じような方法で削るわけではなく、さまざまな要素を考慮して治療する必要があります。これは私が多くの患者さまから感謝のお手紙をいただく中で、やりがいと共に認識できたことでした。

- むし歯や歯周病に「なる前に防ぐ」
新しいスタイルの歯科医療を - 勤務医の時は「痛くなったから来た」という患者さまが多く、中には時すでに遅く歯が数本しかなく「噛めない」状態で来院される患者さまを多く拝見させていただきました。
私の願いは、「当たり前に噛める」その状態を維持していただくことです。
歯科医師は自分が虫歯・歯周病にならないための日々のケアの方法を知っています。私は、患者さまを思うのであれば、本当にすべきことは虫歯になる度に歯を削って治すことではなく、虫歯・歯周病にならない方法を患者さまに伝えていくことだと考えています。大学時代・修業時代から学んだことや、ふかや夢デンタルクリニック開院にあたり、やはり『口腔は全身への入口である』ということを痛感しており、もっと多くの方にそれをお伝えしたいと切に思っています。
歯科治療を通じて、笑顔の絶えない、そういった人生の一部をお手伝いできたら…それが私にとっての使命であり「夢」でもあります。
何歳になっても自分の歯で噛める、そんな幸せな「夢」を叶える場所であるために、常により良い歯科治療を提供できるよう努めてまいりますので、宜しくお願いいたします。
- 略歴
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- 日本大学 歯学部 卒業
- 神奈川歯科大学 研修医課程
- 歯科医院横浜 分院長
- 湘南石川クリニック 勤務
- ふかや夢デンタルクリニック 開院
- 所属
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- 日本歯内療法学会
- 日本顎咬合学会
- 日本歯科臨床技術学会
- スタディーグループ SJCD
- スタディーグループ IDP
- スタディーグループ BCD
HISTORY
私の生い立ち
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journal01
- ドイツで過ごした幼少期
- 私の地元は、神奈川県平塚市です。昭和56年、小雨の降る寒い日に平塚市の病院で元気に生まれました。
母親の話では寝返り4カ月、ハイハイ7カ月でとても成長のスピードが速かったそうです(笑)
その後3歳の時、父親の医学留学のために両親と旧西ドイツに行くことになり、現地の幼稚園に元気に通い、ドイツ語を流暢に喋っていたそうです。ドイツ人の大家さんがとても優しい人で、私は、おじいちゃん!おばあちゃん!となついていたのを微かに記憶しています。
冬になると雪が積もり、ソリ遊びに夢中になりました。両親の休日にはノイシュヴァンシュタイン城等の観光所巡りをし、記憶はあまりないのですが、とても楽しい幼少期でした。
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journal02
- 小学校〜高校時代
- その後帰国し、幼稚園の年長組に入りましたが、当時はドイツ語しか話せなかったため、周囲と馴染めずに戸惑ったのを記憶しています。現在では全くドイツ語を話せません(笑)また小学校2年生の時には父親の仕事の関係で東京の小学校に転校し、私はますます周囲と距離を感じるようになりました。中学時代はいわゆる反抗期の真っただ中だったように思います。
親には何を言われても盾突き、朝は用意された食事も食べず学校に行く始末…。親から「早く勉強しなさい!!」と言われると、ふてくされてやらない…。
そういった生活習慣も影響し、高校は志望校に合格できず千葉県の高校に入学しました。
そこでも、先生方のアドバイスを軽視してしまい、当然ながら学業が伸び悩み、充実した学生生活を送れたとは言えませんでした。
今思うと、当時の私は思春期によくあることかも知れませんが、理由なく反抗し、自分の思うままに生きていたのだと悔やまれます。
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journal03
- 歯医者を目指すきっかけ
- 私は父親が医師なので、私も医師になるのが当たり前であると何も疑問を抱かず幼少期を過ごしてきました。
しかし中学・高校時代の生活が影響し、中々成績が伸びず、医者の道を断念することになりました。
私は何日も何日も考え、困窮した末に、父親に「歯学部を受験したい…」と打ち明け、「医者も歯医者も困っている人を助けることに変わりはない。それが体か口かの違いで、少しでも医学に貢献していきたい。」と話しました。そこからが、私の転機となっていきます。
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journal04
- 大学時代
- 私は受験で苦労するも、何とか歯学部に合格することができました。
入学後、数ある部活の中で私は、少林寺拳法部に入部しました。小中高から武道に憧れを持っていたのですが、一歩踏み出せずにいたため、これが最後のチャンスだと思い、意を決し入部することにしました。
入部すると、物凄く練習が厳しかったため、同期の全員が辞めてしまい結果私は学部1年で一人だけになってしまいました。私は忍耐力と武道に憧れがあって入部したので、何とか継続して練習し、大学4年の夏合宿で主将を務めることになりました。
しかし、私の練習があまりに厳しく、他の部員がついてくることができなくなり、練習メニューを変更するよう監督より叱咤されることもありましたが、それほどに私は少林寺拳法に打ち込んだのです。
先輩方からは精神力・協調性等を学びまた、父親からは“捲土重来”でやるしかないということを事あるごとに言われ、同期の仲間にも恵まれ、苦労は多かったものの何物にも代えられない貴重な経験と時間を共有できたことに感謝しています。
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journal05
- 修業時代
- 私は国家試験に合格後臨床研修を修了し、紹介もあり横浜の歯科医院に勤務することになりました。そこでは、徹底して歯周病の考え方を理事長に教わりました。
次の勤務先は、自身の精進のため技工所が入っている医院を選びました。そこでは徹底して技術を叩き込まれ、技工士がダメだと判断したものは、作ってもらえず突き返されました。心折れそうになったこともありましたが、理事長と技工士との密なフィードバックにより日々成長させていただき、今後の歯科医師人生の大いなる財産となりました。
また、縁あって非常勤勤務した水道橋の医院では、人間心理及びいかに患者さまに負担なく診療するかを学ばせていただき、感謝しております。
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journal06
- ふかや夢デンタルクリニック
開業まで - 令和3年5月24日。ふかや夢デンタルクリニックを開業することができました。
私は『夢』という言葉が好きです。少し曖昧な響きも持った言葉ですが、『夢』とは理想であり、目標です。現実性のない目標で理想であったとしても、その間を少しでも埋めて理想に近づく……、その努力を一生していこうと心に誓ったので、この名前を付けました。
また、私がテナントではなく土地開業、自宅兼用で医院を構えたのは理由があります。一生地元の皆様の健康に貢献する覚悟を示したかったからです。
私がもし、いい加減な治療を行い、誠心誠意患者さまに向き合わなければ、すぐ悪い評判がたちます。居を構えていればテナントのように閉院し、逃げることはできません。
長く患者さまに通っていただき「あそこのクリニックは誠意をもって対応してくれる」と患者さまに思ってもらいたい……口の健康から全身の健康を変える……そんな夢のようなクリニックにしたい……そんな思いを込めて命名しました。
- ふかや夢デンタルクリニック

- 同じ志をもつ仲間と、
より良い歯科医療を目標に
日々診療にあたっています! - ここまで長文にお付き合いいただき、
誠にありがとうございました。
今後ともよろしくお願いいたします。

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